【目指す児童像】(華川小のよい子)
○ よく考える子
○ 思いやりのある子
○ おちつきのある子
○ しんぼうづよい子
○ 健康でたくましい子
本校のいじめ防止基本方針は・・・ ○「いじめ」を絶対にゆるさない教師の姿勢のもと豊かな情操と道徳心・人権感覚を培う教育の推進 ○ 縦割り班活動(異学年交流)や地域との交流活動等を通して,人との交流の能力の育成 ○ 全教育活動を通じた道徳教育及び体験活動等の充実 |
1学年 | 1クラス (複式学級) |
男子1人 | 女子2人 | 計3人 |
2学年 | 男子0人 | 女子1人 | 計1人 | |
3学年 | 1クラス (複式学級) |
男子0人 | 女子3人 | 計3人 |
4学年 | 男子0人 | 女子1人 | 計1人 | |
5学年 | 1クラス (複式学級) |
男子0人 | 女子1人 | 計1人 |
6学年 | 男子3人 | 女子0人 | 計3人 | |
全校児童 | 3クラス | 男子4人 | 女子8人 | 合計12人 |
時雨音羽さん(本人) |
時雨音羽(しぐれ おとわ)さんは,北海道利尻島出身です。明治32年(1899年)3月19日,5人兄弟の末っ子として生まれました。その後,利尻の沓形村役場に勤めていましたが,1918年(大正7年)頃上京します。日本大学法科に検定で合格し,卒業後,大蔵省主税局織物課に勤めました。
1925年(大正14年),新大衆誌『キング』9月号に講談社の依頼で「朝日をあびて(後の出船の港)」を掲載。この詩は,中山晋平が作曲し藤原義江が歌ってヒットしました。 これがきっかけで,創設したばかりのビクターレコードに文芸顧問として入社し「君恋し」,「浪花小唄」とヒット曲を書き,レコード界草創期の流行歌作詞家となりました。「君恋し」は後の昭和36年(1961年)に,フランク永井の曲として第3回レコード大賞を受賞するなど,大ヒットしました。1969年には紫綬褒章を受章しています。
昭和55年(1980年)7月に,自宅にて「腎不全」で亡くなるまでに,約1,500の作詞をしたといわれています。利尻島の小中学校校歌,昭和17年(1942年)には文部省唱歌「スキー」(山は白銀(しろがね)〜朝日を浴〜びて〜♪)など多くの歌を作詞してきました。そこには利尻の山・海・空の想いが強く込められているようです。
森 義八郎の碑 |
森 義八郎(もり ぎはちろう)さんは,山形県北村山郡大石田町田沢出身の作曲家です。奉祝国民歌「紀元二千六百年」「走れトロイカ」等の作曲家として有名です。東京の杉並に住み,音楽教諭をしていたようですが,とてもお酒が大好きな人だったようです。出身の大石田町には,顕彰碑が建てられています。
北茨城市立華川小学校 校歌(作詞・時雨音羽 作曲・森義八郎)
一・めぐる山々 緑も深く 流れは清し 花園川よ
輝きわたる 光の丘に 学びの若木 強く茂る
華川 華川 競うわれら
ニ・日出ずる国の 東に名あり 多賀のこの里 尊しこの土
みよのめぐみの あしたに夕に 希望の道を 倶(とも)に進む
華川 華川 進む我ら
三・太平洋は 遙かに広く 学びの道も 天に連らなる
努めよ励め ただ一筋に 進取の力 ここにみなぎる
華川 華川 健児われら
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