<超過勤務の上限時間> (1) 1か月の在校等時間について,超過勤務45時間以内 (2) 1年間の在校等時間について,超過勤務360時間以内 |
磯原町になったとき,「磯原小学校」と「木皿小学校」との間に,優劣の差のない校名に改めたいという話が持ち上がり,町議会にかけられました。その結果,徳目をもって校名にすることになりました。 当時の磯原小学校の根本武男校長先生と木皿小学校の斎藤義雄校長先生が校名を選ぶのを任されました。根本校長先生は,教育勅語より「国体の精華」の「精華」を選び,斎藤校長先生は,子思が書いた「大学」という本の中から「明徳」を選びました。
「精華」とは,@物事の真価とすべきすぐれたところ,Aすぐれてうるわしいこと,光彩とあります。(広辞苑より
明治6年7月2日 | 明治5年学制発布,翌年当時の区長里美寛氏等,衆に諮り本村内野口勝明氏別邸に開校,「磯原小学校」と称するようになりました。 |
明治26年4月19日 | 「磯原尋常小学校」と名前が変わりました。 |
昭和6年 | 校歌が制定されました。(作詞:望月常雄 作曲:山本正夫) |
昭和9年4月1日 | 皇太子殿下御誕生を記念し,校名が「磯原精華尋常高等小学校」と改称されました。 |
昭和16年4月 | (児童数808名)「磯原精華国民学校」と校名が変わりました。 |
昭和22年4月 | 学制改革により6・3・3・4制になりました。「磯原精華国民学校」が「磯原町立精華小学校」と変わりました。それまでの初等科が「小学校」に,高等科が新しくできた「中学校」になりました。 |
昭和31年3月 | (児童数874名)北茨城市が誕生して,「北茨城市立精華小学校」となりました。 |
昭和36年3月31日 | 磯原町磯原の現在地に白亜の立派な鉄筋校舎(3階建て)が新築されました。特殊学級が設置されました。(4月1日) |
昭和41年1月 | 「七つの子」の歌碑が寄贈され,除幕式が行われました。その様子がNHKのニュースで全国にテレビ放映されました。 |
昭和48年3月 | 念願の体育館が新築されました。それまで磯原高校の体育館を借りて卒業式を行っていました。 |
昭和59年 | 創立111周年を記念して,7月7日に「校歌碑」を,10月20日に記念碑「天与童心」が建立されました。 |
昭和60年1月27日 | 第一回精華祭が行われました。 |
昭和62年3月15日 | 相撲場ができました。 |
平成3年1月31日 | 各教室にワークスペースがあり,木目をふんだんに使った新校舎が現在の場所に新築されました。 |
平成11年4月18日 | 新体育館竣工式が行われました。 |
平成14年11月2日 | 野口雨情生誕120周年記念精華祭が行われました。 |
平成17年4月1日 | 県教委指定「ふるさと発見事業」の指定を受けました。 |
平成19年11月9日 | 県交通安全功労団体賞を受賞しました。 |