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ようこそ「野口 雨情」の母校へ

学校概要School summary

“Change”を“Chance” にして,飛躍の年に
                          学校長 小林 宜弘

 
今年度,精華小学校へ赴任しました校長の小林宜弘です。保護者や地域の皆様のご支援・ご協力を得ながら,次代を担う子供たちをしっかりと育てていくとともに,学校が地域の核となり元気を発信する場となるよう取り組んでまいります。今年度の合言葉は,「世界で 一番 活力のある小学校」(かいで ちばん つりょくのある小学校)です。
さて,今年度の学校教育目標を
「よく学び よく遊び 自分を大切にできる児童の育成」としました。昨年から続く感染症の拡大により日常の生活はもちろん教育活動も制限を受け,ストレスがたまる日々がまだまだ続くことが考えられます。今の子供たちは,予測不可能で正解が一つでない不透明な社会を生き抜いていくことになります。だからこそ,子供たちには自分の心と体の健康・安全への意識を高め,行動できる力を身につけてほしいと思います。また,自分自身を見つめることで自分の可能性・良さに気づき,伸ばす努力ができるようになってほしいです。
入学式では58名の新入生を迎え,全校児童451名がそろい,今年度の教育活動が本格的に始まりました。そして,毎朝登校してくるときの一人一人の目の輝きの奥には,「がんばるぞ!」という気迫さえ感じられます。学年・学級が変わり,担任が変わり,新たな学校生活のスタートを切ったところです。この変わり目(Change)をチャンス(Chance)ととらえ,この年度初めの前向きな気持ちを大切にしながら,全教職員で支援していきます。どうぞよろしくお願いいたします。
【 働き方改革にご理解を!】
 教職員の時間外勤務や体調不良者が年々増加してきており,学校の働き方改革として,教職員の勤務の在り方について国や県・市から改善を求められています。労働時間は労働基準法第32条において,「使用者は,労働者に,休憩時間を除き1週間について40時間を超えて,労働させてはならない」「使用者は,1週間の各日については,労働者に,休憩時間を除き1日について8時間を超えて,労働させてはならない」と規定されており,教職員もその制約を受け遵守しなければなりません。(いくつか例外が認められています。)
 このことを踏まえ,学校における業務負担の軽減を図ることで教職員の心身の健康増進と教師の授業力向上に向けた教材研究・自己研鑽のための時間を確保することをめざし,令和2年3月31日に「北茨城市立学校の教育職員の在校等時間の上限等に関する方針に関する規則」が定められ,次の内容が示されました。
<超過勤務の上限時間>
(1) 1か月の在校等時間について,超過勤務45時間以内
(2) 1年間の在校等時間について,超過勤務360時間以内
 今のままでは法令・規則違反となってしまいます。また,心身ともに疲れがたまっている教職員も少なくありません。今後,法や規則を遵守するためにも,業務の負担軽減を図り子供たちと向き合う時間を生み出しながら,効果的・効率的な教育活動になるよう見直しを進めていきます。今まで教職員や,学校が行っていたものでも地域やご家庭にお願いできるものはご協力をいただければ幸いです。
 ご理解とご協力をお願いいたします。 


精華の由来と歩み

 磯原町になったとき,「磯原小学校」と「木皿小学校」との間に,優劣の差のない校名に改めたいという話が持ち上がり,町議会にかけられました。その結果,徳目をもって校名にすることになりました。 当時の磯原小学校の根本武男校長先生と木皿小学校の斎藤義雄校長先生が校名を選ぶのを任されました。根本校長先生は,教育勅語より「国体の精華」の「精華」を選び,斎藤校長先生は,子思が書いた「大学」という本の中から「明徳」を選びました。
「精華」とは,@物事の真価とすべきすぐれたところ,Aすぐれてうるわしいこと,光彩とあります。(広辞苑より

明治6年7月2日 明治5年学制発布,翌年当時の区長里美寛氏等,衆に諮り本村内野口勝明氏別邸に開校,「磯原小学校」と称するようになりました。
明治26年4月19日 「磯原尋常小学校」と名前が変わりました。
昭和6年 校歌が制定されました。(作詞:望月常雄 作曲:山本正夫)
昭和9年4月1日 皇太子殿下御誕生を記念し,校名が「磯原精華尋常高等小学校」と改称されました。
昭和16年4月 (児童数808名)「磯原精華国民学校」と校名が変わりました。
昭和22年4月 学制改革により6・3・3・4制になりました。「磯原精華国民学校」が「磯原町立精華小学校」と変わりました。それまでの初等科が「小学校」に,高等科が新しくできた「中学校」になりました。
昭和31年3月 (児童数874名)北茨城市が誕生して,「北茨城市立精華小学校」となりました。
昭和36年3月31日 磯原町磯原の現在地に白亜の立派な鉄筋校舎(3階建て)が新築されました。特殊学級が設置されました。(4月1日)
昭和41年1月 「七つの子」の歌碑が寄贈され,除幕式が行われました。その様子がNHKのニュースで全国にテレビ放映されました。
昭和48年3月 念願の体育館が新築されました。それまで磯原高校の体育館を借りて卒業式を行っていました。
昭和59年 創立111周年を記念して,7月7日に「校歌碑」を,10月20日に記念碑「天与童心」が建立されました。
昭和60年1月27日 第一回精華祭が行われました。
昭和62年3月15日 相撲場ができました。
平成3年1月31日 各教室にワークスペースがあり,木目をふんだんに使った新校舎が現在の場所に新築されました。
平成11年4月18日 新体育館竣工式が行われました。
平成14年11月2日 野口雨情生誕120周年記念精華祭が行われました。
平成17年4月1日 県教委指定「ふるさと発見事業」の指定を受けました。
平成19年11月9日 県交通安全功労団体賞を受賞しました。
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北茨城市立 精華小学校

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