基本情報
本校の教育目標教育目標民主社会の形成者として国際的視野に立って社会の発展に貢献できる調和のとれた人格の育成をめざす 校訓 〔 自主 礼節 明朗 〕 明朗で健康な人、創造力のある根気強い人、行動力に富み礼節のある人 心理を愛し、心豊かな人、正しい判断力をもち、自主性のある人 目指す学校像 1.生徒にとって、学び合いがあり毎日通いたくなる学校 2.保護者にとって、信頼が持て我が子を通わせたくなる学校 3.教職員にとって、意欲的に仕事に取り組み働きがいのある学校 校歌と校章
応援歌沿革史歴史と伝統のある学校です。沿革をご覧になりたい方はこちらからどうぞ。[ 建学の経緯 ] 本校は、昭和22年、戦後の新学制により、根室町立根室中学校として開校された。まだ、根室は焼野が原の状態に有り、随って花咲小学校も焼け跡のまま、北斗小学校を借りて、10学級、630余名の生徒を擁し、両校午前午後の2部授業を行っていた。しかもそこには、校舎を空襲で失った花咲小学校も同居する事態であり、根室中学校は姿のない学校として開校されることになった。根室高女の一室を借りて開校の準備が進められ、根室高女3教室、北斗小9教室が確保され、昭和22年5月3日、新憲法実施の日、北斗小学校屋内運動場で開校式が行われた。その後、国立種馬所跡を利用し、昭和24年8月25日、種馬の厩舎を改造して教室とし、一部新校舎も建てて第1期工事が落成し、女学校、北斗小学校に間借りしていた生徒が21学級に収容され、初めて、根室中学校は学校の姿を現した。翌年、第2期工事が落成し、花咲小学校に間借りしていた生徒は25学級に収容され、これで間借りが解消され、独立校舎となった。その後、毎年増築が続き、昭和32年5月3日創立30周年記念式が行われた時には、30学級、1500名のマンモス校となっていた。その後も生徒数は増加し、昭和35年には33学級となり、旧根室高校の家庭科室に間借りして分校とし、第1学年が収容された。年末にはどんぐり林のあるところに根室管内初めての鉄筋校舎が出来、分校生徒が移された。これが柏陵中学校の芽である。昭和36年度、柏陵中学校が創立され、それに伴い、根室中学校は光洋中学校と改称された。その後、昭和42年、不慮の火災により、校舎の殆どを失ったが、12月10日、第4期工事が完成し、その後、時代の試練に耐え、開校の精神は確実に受け継がれ、多くの有為な人材を輩出し、今日に至る。 進路状況平成27年度卒業生88名の進路状況
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